『ディーン、君がいた瞬間』感想”デハーンが死を予感させるディーンを演じたアートな作品”
映画『ディーン、君がいた瞬間』を見た感想をネタバレなしで書いています。
デイン・デハーンとロバート・パティンソンという才脳溢れる若手俳優二人が実在した人物であるハリウッドスター”ジェームズ・ディーン”とカメラマンの”デニス・ストック”を演じた作品です。東京国際映画祭で特別招待作品として上映されていたので、全国公開より一足早く鑑賞してきました。※Deen「君がいない夏」とは全く関係ありません。
リリース情報
日本公開日:2015年12月19日
簡易感想
私的好き度:★★★☆☆
笑える:☆☆☆☆☆
泣ける:★☆☆☆☆
怖い:☆☆☆☆☆
スカッとする:★★☆☆☆
ドキドキする:☆☆☆☆☆
心があったまる:★★☆☆☆
憂鬱になる:★☆☆☆☆
映画感想
死を内在したカメラマンと被写体の関係性を”感じる”作品
日本にカメラが初めて登場した頃、人々は本気で「写真に撮られたら魂を吸い取られる」なんて考えていたみたいですが、写真というものはどこか”死”を感じさせるものであると思います。
この映画はジェームズ・ディーンが死ぬ直前のカメラマンとの交流を描いた作品となっていますが、決してジェームズ・ディーンの伝記映画ではなく、どちらかというとカメラマンと被写体という特殊な関係性をそんな日本人が感じたような死を匂わせながら表現した作品と言えます。
この映画は先ほど述べた通り、ジェームズ・ディーンとデニス・ストックという二人の人物の交流を描いた作品となっていますが、そもそもこの二人って誰なんだいと思う方もいるでしょう。私も映画好きとしてディーンは知っていましたが、デニス・ストックと聞いて『イージー・ライダー』が見たくなったほどには知りませんでした。ということでまずは確認したいと思います。
▼ジェームズ・ディーン
・アメリカの俳優(1931年2月8日~1955年9月30日)
・『エデンの東』でキャル・トラスク役で初めて主役を演じる。(彼はこの役でアカデミー賞の最優秀主演男優賞にノミネートされた。)
・『理由なき反抗』で主役を、『ジャイアンツ』で準主役を務める。
・24歳の時に交通事故で死去
▼デニス・ストック
・アメリカのカメラマン(1928年7月24日~2010年2月11日)
・1951年「ライフ」誌のフォトコンテストで新人賞を最年少で受賞し、同年マグナム・フォトに参画(当時、彼はハリウッドの報道写真家として地位を確立し、映画スターの写真をドキュメンタリースタイルで数多く撮影していた。)
・1955年、映画関係者のパーティーの席で『エデンの東』でスターダムに上りつめようとしていたディーンに出会い、その日常を撮影し、数々の作品を残す。
注目したいのは、ジェームズ・ディーンが一気にハリウッドに上り詰め24歳という若さで亡くなってしまったということ。
そしてデニス・ストックとジェームズ・ディーンの交流は本当にディーンの死ぬ間際に行われたもので、決して昔から馴染みのある二人ではないということです。
でも彼らの交流というのは描く価値がある。というのも、表面的な理由で言うと、デニス・ストックが撮ったディーンの写真というのは今でも多くの人の目に触れる機会のあるくらい有名だからです。雨が降る中、ジェームズ・ディーンがコートのポケットに手を入れながらタバコを吸って歩いている写真なんか、ディーンを知らない人でも一度はどこかでみたことがあるのではないでしょうか。
そしてそんな表面的な理由以外でも私は彼らを描く価値があると思っていて、それが前述したように、被写体とカメラマンという特殊な関係性を死を匂わせながら表現したということです。それを描いたことにこの映画の価値があるのではないか。この映画の面白さがあると思うのです。
この映画はぶっちゃけて言うと結構退屈でして、テンポが遅く、「っで何が言いたいの?」と思わせるようなメッセージ性のない作品です。
監督はメッセージ性なんてそもそも持たせる気がなかったと言っていて、そうではなく「ニュアンスを楽しんで欲しい」なんていうモヤモヤするようなことを言っていましたが、まさにその通りの映画でしたね。
でも駄作と言えばそうではない。好きか好きじゃないかで言ったらそんなに好きではありませんが(←)、類似作品をみたことがないという点で結構心に残る作品でした。
こういう作品は私にとっては厄介で、好きじゃないのに何だったんだと考えてしまう。そして自分の見方が悪かったんじゃないか、あの時体調が優れなかったからな、とか考えてどうにかこうにか記憶を辿って映画の良さを再発見しようと試みてしまうのです。
そうこうして約ひと月が経ってから今こうして感想を書いているわけなんですけど、なんとなくねその監督の言った「ニュアンス」とやらを言葉で表現できるようになってきたかなと思ってこうして文章を書いています。
・・・っで話を映画に戻しまして。答えとして、被写体とカメラマンという特殊な関係性を死を匂わせながら表現した映画という意見を提示しましたが、この映画のジェームズ・ディーンは死の直前の姿ではあるけれども、もうまるで死んでいるように感じるのです。
『理由なき反抗』のイメージが強いですが、この映画ではいきなりなってしまったスターとしての自分に疑問を感じ反抗的な態度を示しながらも、どこかもう自分の望んだ世界がないと悟ったような姿を見せています。
生まれた場所こそ自分の居場所であると思いながら、もう戻れないと思う。ハリウッドで輝く映画スターとしてではなく、24歳という一人の若い青年がそこにはいるのです。
そしてそんな青年から感じられるのは、死なんですよね。いつか自暴自棄で命を経ってしまうのではないか、というよりも、もうすでに死んでいる。正式に言うとそう感じてしまうくらいには、この映画のジェームズ・ディーンは神秘的に死をまとっているのです。
っでそれを撮るのがデニス・ストックという一人の青年。ディーンより2歳年上で子供がいる。だけれど妻とは仕事で会えないせいで離婚していて、時々会う子供にも好かれていない。ディーンが出会ったこの男は若者らしく野心を持ちつつ、責任を持たないといけないと悩んだ青年でした。この映画はディーンよりもデニス・ストックの気持ちの方が描かれていて、彼のくすぶっている様子がメインで描かれているように感じます。
面白いなと思うのが、ディーンが早くに亡くなったのには反対に彼は82歳まで生きたということです。
カメラマンというのは、生きて被写体の生を残す役割を持ちながら、被写体の死を予感させるものであると考えます。写真は魂を吸い取ると考えた昔の人のように、私も写真から死を感じてしまうからそう考えるのですが、これが私の感じ取ったニュアンス(=意味合い)と言えばそうなのかもしれません。
つまりこの映画が写しているものというのは、死が内在する被写体とカメラマンという特殊な関係それ自体だと思うのです。そういう点で早くに亡くなったディーンと死ぬ直前に彼と交流のあったデニス・ストックで表現することはとても正しかったと思います。
でも死を予感させる作品であるということは、その物語からも間違いはないでしょう。被写体の生を瞬間的に切り取るカメラマンと死を予感させる被写体の関係を描いたこの作品は想像してしまう青春というイメージからは全然違います。
万人が口を揃えて「感動した!」なんて言うわかりやすい作品でもございません。しかしながら、アート写真を見るようにしっとりした映像と俳優の挑戦的な演技を楽しめる作品でしょう。
▼あらすじ
1955年、マグナム・フォトに所属する気鋭の写真家ストックは、世界を驚かせる写真を撮りたいと熱望していた。そんな折、パーティで出会った無名の新人俳優ディーンにスター性を見出したストックは、LIFE誌に掲載するため密着取材を開始。ディーンを追ってロサンゼルスやニューヨーク、故郷のインディアナまで旅を続けるうち、互いの才能に感化されるようになっていく。
デハーン!デハーン!デイン・デハーン!!!
ところでこの映画の注目ポイントは、ジェームズ・ディーンを描いたこと、という他に何よりも主演俳優のデイン・デハーンとロバート・パティンソンなのは確実でしょう。
そんな私もデハーン目当てで鑑賞を決めたのですが、デハーンに関しては3ヶ月で体重を11キロ以上増やし、特殊メイクをして役に挑んでいるくらいにディーンに近づこうと演技をしています。
監督からオファーがきた時は「ディーンを好きだから出来ない」という理由で出演を断っていたようですが、デハーンが主演を務めた『メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー』を機に交流のあったメタリカのバンドメンバーを仲介して出演を承諾してもらったという経緯があるようです。
美形のロバート・パティンソンとデハーンがブロマンス的な関係を持つキャラクターを演じているという点でも魅力的と言えるのかな。笑
『トワイライト』シリーズから抜け出そうとしているロバート・パティンソンとまた新たな一面を見せてくれたデハーンの演技に注目したい作品です。
最後に
エンドロールで実際にデニス・ストックがディーンを撮った写真が映されるので、最後まで席を立たずに、二人が生んだ見事な瞬間を感じることをおすすめしたいです。
映画『ディーン、君がいた瞬間(とき)』予告編 - YouTube
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