「おおかみこどもの雨と雪」”他者に頼れるようになったことこそが母親である「花」の成長”
「おおかみこどもの雨の雪」(2012)
「バケモノの子」が公開されたので、感想アップです。
作品全体の感想というよりも、母親である”花”の本来の姿やその成長についての私なりの考察です。
彼女がオオカミ男の子供を生んだ心情、彼女の弱さを考えると結構見方が変わりました。
細田監督の狙い
今作で細田監督が描いたのは、
「1人の女性が、恋愛・結婚・出産・子育てを通じて成長する姿」と「その子供たちが、誕生から自分の生きる道を見つけて自立 する過程」。
それは、およそ2時間の映画で13年間という「時間」を丸ごと描き出すという、アニメーションだからこそ実現可能な試みだ。
その中で人生の 様々な局面において、親として、あるいは子として、どのような選択をするのか。そんな誰しもが直面するリアルで普遍的な
テーマを、"おおかみおとこ"と人 間の間に生まれる≪おおかみこども≫というファンタジックな設定を用いて描く。
花はどうしてオオカミ男と無計画に子供を生んだのか
結構、今作の感想で「大学生で子供を生むなんて無計画すぎる」という意見をよく目にします。
一応おおかみ男の方は三十路設定なので二人とも大学生というわけではないのですが、
それでも親もいない未成年の花がわざわざ奨学金を使って国立大学まで行っているのに子供を生むのは普通ではないですよね。
っで他にも花に関してはおかしいなと思うところがあるのです。
それは苦しい時こそ笑える異常なまでの気の強さです。
花がオオカミ男に、父親の葬式で笑ってしまったことは不謹慎だったかなと聞くシーンがありますが、はい「どう考えても不謹慎でしょ」と。
それに、待ち合わせの時間になってもなかなかオオカミ男が現れずシャッターの閉まった店の前でうずくまっているシーンでは、
花はやっと来たオオカミ男の「ごめん、怒った?」ということに対してわざとらしいほどの笑顔で応えます。
なんかもう怖い。
いくら父親が「辛い時こそ苦しい時こそ笑うべき」と言ってたとしても、どうしてそこまで人に頼ることもなく強くいられるのか、私は全く共感ができないのです。
でもそれこそが彼女の闇だったのではないかと考えます。
無計画に子供を作ったのも、わざとらしく笑顔になるのも、彼女の弱さ故の行動だったのではないでしょうか。
そしてそれこそ彼女の人間らしさであったのだと思います。
そしたら、オオカミ男と行為に及んだことこそが彼女の無理をしていない本来の姿であったのではないかと私は思うのです。
だって彼女は一人ぼっちだったんですよ。
父親が亡くなってしまってからというもの一人で生活をしています。
何もかも相談できるような親戚もいません。
そして大学では授業もご飯もひたすら”ぼっち戦士”を貫いているので、とにかく一人ぼっちなんです。
いくら一人で立派に生きているとしても、寂しさとか孤独がないのは自然ではないと思います。
ましてや細田守は「バケモノの子」でも人と人とのつながりを大事にして描いているのですから、一人でいることは少なくとも寂しいことであると考えているはずです。
つまり彼女は孤独であったはずなのです。
しかし、自分と同じような背中をしているオオカミ男を見かけて心が動かされます。
「この人だったら自分を理解してくれる」
そう彼女は感じたのではないでしょうか。
そして話しかけて仲を深めて、心を通わせて、そして相手のありのままの姿を見た時
自分の弱さを隠さず見せたいと思ったではないかと思います。
きっとオオカミ男もそうで、今まで一人ぼっちで誰かに自分の本当の姿を見せたことはなかったでしょう。
そう、「誰かと心を通わせたい」という寂しさからくるお互いの気持ちが二人の体を引き寄せたのだと思います。
つまりその後に無計画に子供が出来てしまったのは、花の本来ある大きな心の弱さが表立ったことの結果なんですよね。
それが完全に悪いこととは思いませんし(より自然)、彼女の闇を考えるならつじつまの合わないことではなくむしろ”起こりうること”ではないでしょうか。
っで子供が出来た時の反応なんですけども、花とおおかみ男は抱き合って喜びますよね。
でもその前に花は病院を後座すりしているのです。
そこから花の恐怖心を私は感じました。
「母親を知らない自分が母親になるなんて・・・」
ましてやオオカミの子供です。不安でないはずがありません。
だからあの時の喜びは、例の「辛い時こそ苦しい時こその笑い」だったのではないかと思うのです。
そう考えると、あの時から花は一人で恐怖と戦っていたのだと思います。
そして一年もかからないうちに彼女は二人目を生みます。その時は、さすがに子供を生むことの決心はできていたと思います。
それは止めることのできないことだったのだと思うからです。
というのも彼女にとって家族をつくることが彼女の心の支えだったのですから。
どうしようもない馬鹿げた行為であるという見方もごもっともですが、それをせざるをえないほどに彼女の心の闇は大きかったと捉えることが出来ると思います。
しかし、この彼女の本来の弱さというのはオオカミ男をなくしてからも表立ってあまり描かれることはありません。
けれども、途中で弱音を吐かずに一人で何もかも抱えていた彼女はなかなか畑に植えた食物が育たないことで「これからどうしよう」と不安になります。
そこで彼女を助けてくれたのが、農家の老爺でありおばさんであり同じようなママ友だったのです。
老爺は彼女の弱さを見抜いて「笑うな」「上手くいかないなら、なぜ聞こうという気持ちがない」と言い放ちます。
恐らく一人で抱えて辛い時に笑うということは彼女の中で癖になってしまっていたのではないでしょうか。
弱さを見せないのではなく、彼女はその心の痛みの大きさ故に弱さを見せられないようになってしまったのだと考えます。この違いは大きいでしょう。
そして一見彼女の強さであるようなことは彼女の弱さでもあったのだと思います。
どんどんまわりとの関わりをやめて一人で子育てを頑張った彼女は、本当に強いとは思いません。それは自虐行為ともとれると思います。
だから母親として一人で子供を育てたことではなく、弱さを全部隠さないで人に頼れるようになったことが彼女の成長であったと考えます。
※弱音ばかり吐くことがいいとは言ってなく、極端に弱音を吐かないことが強さではないということです。
そして、子供の自立を受け入れることができたこと。それは彼女の一人で抱え込むことからの卒業です。
私は親は子供の人生に責任を負うべきだと思いますが、一人で抱え込んでまで責任を負おうとしなくてもいいと思いますし、それが親の理想像だとも思いません。
だから、この作品の母親を見て「あんな強い母親になりたい」とも思いません。
すごく立派ですし、自分に厳しいところは尊敬したいところでもあるんですけどね。
繰り返しますが一人で全て抱え込むこと、他人を信じて人に頼れないのは弱いことだと思うのです。
たらたらと持論を展開してきましたが、まぁしかし。
苦しくてたまらないのに一人で抱え込んでしまう弱さを今作はあまりはっきりと描いてはいないことは否めません。
子どもがそれぞれの他者との交流で成長していくことを描いているあたり、一人だけで子育てをすることを肯定しているとは思いませんが、母親としての女性の強さを描きたいという気持ちは伝わってきます。
だから、見た人の中には「母親の強さを感じた」なんて感想を持っている人もいて、ちょっとはっきりとしていないことでこの作品に対する見方って変わってしまうなと思います。
でもそれって面白いと言えば面白い。むしろ「母親とはこうあるべきだ」というはっきりとしたメッセージがあるよりも全然良いと個人的には思います。
だから、なんだかんだこの作品って考えれば考えるほどに見方が変わってくるのかもしれないですし、また見てみたいと思える作品です。
それ故に今回は全くオオカミ男やその子供たちである雨と雪については言及しませんでしたが、今後考えてみたいという気持ちはあります。
特にオオカミ男については疑問がいっぱいなんですよね。
彼がどう何を考えていたかというよりも、彼のこの作品の中での立ち位置がちょっとわからず。はっきり言うと彼って
「ストーリー進行のための種馬」的存在じゃないかなとさえ思ってしまいます。(真顔)
「バケモノの子」で細田監督の持つ世界観が広がってきたので、再度観賞して「バケモノの子」と合わせて理解を深めてみるも面白いのではないでしょうか。
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